50th Anniversary Message

祝 母校50年 アイデンティティーを追い求めて

藪下 廣光(医学部第1期生)

多治見市民病院 副院長

19724月、愛知医科大学は初めての入学生を迎え入れました。キャンパスにあるのは教養棟だけで基礎医学棟は建設中。周りは雑木林に囲まれ、脇道に連れ歩くコジュケイが、愛知用水から立石池に流れる水路にシラハエの群れがみられました。

学生たちは、何をすべきか迷い、不安をいだきながら自分たちの存在感を確かめたいと唾を飛ばして議論もしました。大学の存在すら世間に知られておらず、クラブ活動で参加した競技大会の折、「愛知大学に医学部ができたのですか?」と尋ねられ屈辱を覚えたこともありました。2年、3年と経つうちに学生の中に連帯感も生まれて、1974年に第1回医大祭が「帆をはり舵をとれ」をテーマに実施され、未熟ではありながら医学生としてのアイデンティティーが芽生え始めました。キャンパスには、基礎医学棟に続き附属病院が完成し、学生のみならず教職員の数も増えて医科大学としての姿が整いつつありました。1977年に母校に危機的不祥事が生じ、社会から強烈な批判を浴び、学生にとっても、職員にとっても耐え難いほどつらい経験をしました。そのような最中に母校は1978年初めての卒業生を送り出しました。創成期は、幾多の苦難を経験しましたが、学生・職員・卒業生が母校を信じ、愛知医科大学に誇りを持ちたいという気持ちを強くし、大学全体でアイデンティティーを追い求め、新設医大の呪縛から解き放たれようと必死にもがいた時期でした。医師国家試験の合格率が当時の医科大学の社会的指標の1つでしたが、それを克服することで新設医大は過去のものになったと感じました。

50年を経て母校は私立医科大学として着実に飛躍してきました。他大学と比較すればその事業規模は決して大きいものではありませんが、いつも新しいアイデンティティーを追い求め、医科大学として社会も認める独自の姿を創り続けなければなりません。これからの50年に向けてたゆまぬ飛躍を期待します。

写真1

1972年の入学当時から気になる1本の桜木が敷地の脇にあります(写真1)。毎春、つぼみを膨らませて卒業生を送り出し、満開の花を咲かせて新入学生を迎えています。

写真2

50年の時を重ねて幹も太くなり、地を這う様を見せながらも、その枝はしっかりと天を突き、みごとな満開の花を咲かせ、今も成長し続けています(写真2)。まさに、愛知医科大学の50年のあゆみを象徴するような姿で母校を見守り続けています。