50th Anniversary Message

夢を実現でき、更なる夢を持てる場所。自分自身の看護の原点。

柳田 崇仁(看護学部第7期生)

鹿児島市立病院 看護部 救命救急センター看護師
AHA BLS・ACLSインストラクター

愛知医科大学創立50周年を迎えられた事、心よりお祝い申し上げます。

2020年度は看護学部創設20周年を迎え、今年は愛知医科大学創立50周年という素晴らしい節目が続き、とても嬉しく思います。

私は愛知医科大学看護学部の7期生として2006年度に入学させて頂きました。そして前年度には、愛知万博が長久手で開催されておりました。高校3年生の夏、鹿児島県から万博ムード一色の愛知県へ向かい、愛知医科大学のオープンキャンパスへ参加した事を今でも覚えています。鹿児島県民から見た愛知県は、とても大都会であり、しかも高度救命救急センター・ドクターヘリの基地病院である愛知医科大学への入学は壮大な夢でもあり憧れでした。

無事、看護学部へ入学してからは、1学年110名に対して11名しか男子学生が居ない現実と同級生では九州出身者もおらず、当初は心細さも感じていました。しかし、バレーボール部に入部したことで看護学部だけではなく医学部の同級生や多くの先輩・後輩と知り合う事ができました。また、在学中に創設したばかりの手話サークルへ入部し、たくさんの素敵な仲間に恵まれ、とても充実したキャンパス生活を送ることが出来ました。手話に関しては、今現在も臨床現場で活かすことができており、とても貴重な財産となっています。

卒業後は、愛知医科大学病院へ就職させて頂き、6B病棟(整形外科・放射線科・麻酔科)へ4年間配属となり、2014年の新病院建て替えと同時に、高校生から夢描いていた高度救命救急センターへ配属させて頂きました。

高度救命救急センターでは、常に向上心や探求心を強く持ち、国内だけではなく海外での医療に関しても目を向けている師長・主任、スタッフが多く、その様な方々と一緒に働かせて頂けた事は、今でもとても大きな存在になっています。

愛知医科大学病院ドクターヘリとともに

看護師になってから、東日本大震災や熊本地震などの災害をきっかけに、徐々に地元である鹿児島県の救急医療や災害医療に関心を持ち始め、2016年に現在所属する鹿児島市立病院へ勤務する事になりました。

現在は、鹿児島市立病院の救命救急センターでドクターカーやドクターヘリスタッフとして、また鹿児島県DMATとして活動させて頂いています。母校と遠く離れた場所にはなりましたが、自分の看護師への思いや、看護観は紛れもなく愛知医科大学で培ったものであると自負しております。看護学部同窓会理事として現在も母校と強く繋がりを持てている事にとても嬉しく思います。

鹿児島市ドクターカーと鹿児島県ドクターヘリ
鹿児島県ドクターヘリと桜島 (鹿児島市立病院屋上ヘリポートにて)

自分の母校に恥じぬよう、今後とも日々精進していきたいと思います。

今後の愛知医科大学の益々のご発展を願っております。