50th Anniversary Message

思い出あふれる青春の日々

小出(旧姓田中) 詠子(医学部第7期生)

こいで内科医院 副院長
公益社団法人日本医師会 理事
公益社団法人愛知県医師会 理事
日本女医会愛知県支部長

この度は母校である愛知医科大学が50周年という栄えある節目を迎えられましたことを心からお祝い申し上げます。

私は昭和53年入学の7回生です。父親の開業医としての姿を幼いころから見てきたこともあり、医師への憧れと期待に胸を膨らませての入学でした。1学年の女子は2割弱だったと記憶しています。入学して間もなく仲良くなった女の子3人組でワンゲル部に入部しましたが、最初はハイキング程度のつもりでした。しかし部室に漂うバンカラな雰囲気や壁に掛けてあるザイルやキスリングなど備品の数々、そして山男たちの瞳を輝かせた山の逸話など、一気にその世界に引き込まれ自分が女だということも忘れて合宿に志願しました。今考えたら何の経験もない女子を先輩たちや他の部員たちは困りながらも、暖かく山が好きだというその気持ちを尊重して連れて行ってくれたことは本当に感謝の気持ちでいっぱいです。また仲良しの同級生たちとも試験勉強に追われながらも励ましあい笑いあい、本当に素晴らしい6年間を過ごさせていただきました。自分の人生を振り返った時、この時こそが青春だったと間違いなく言えると思います。

卒業するまでは性別を特に意識することなくのびのびと過ごしてきた私でしたが、女性医師として旧第1内科に入局し働き出してからはジェンダーギャップにぶつかることばかりでした。自分の努力が不足していることはもちろんですが、どこか将来に向けたもどかしさを抱えて過ごしていたところ高齢の父親のサポートをすることになり、その後名市大出身の夫と出会い結婚しました。親のサポートを受けることのできない状況の中、3人の息子を育てながら細々とそれでも外来診療だけは歯を食いしばって続けていました。産休・育休もなく、今では当たり前の未満児・延長保育のできる保育園を探し出し、忙しい消化器内科勤務医の夫と衝突しながら約10年間のワンオペ育児を経て、夫婦で現在の地に開業しその後も目まぐるしい日々を過ごしてきました。

仕事も育児も家事も全力投球で走ってきましたが、時間的にも余裕のない中、それでも自分自身の世界が持ちたいという気持ちから愛知県の女医会に入ったことからその後いろいろなご縁ができました。現在は愛知県医師会の女性枠理事として6年間、日本医師会の女性枠理事として2年間勉強させていただいています。女性医師の激増と医師の働き方改革を迎え、激動の医療情勢に取り残されまいと必死で過ごしていますが、ジェンダーギャップに悩みながら進んできた私の医師人生の原点は、あの懐かしい6年間の日々だったと今更ながら思い返すこの頃です。

私達の大切な母校の今後の更なる発展を心から祈念いたします。